ニックと私は、目立ったサーファーになろうとしたことも、互いに競い合おうとしたこともありません。ただ、波乗りが好きで今までずっとそうしてきたのです。ですから、もしあなたが有名なサーファーの作ったボードを求めているのなら、このサイトは間違いです。しかし、あなたが数あるシェイパー達の間で高い評価を得ている人の手によるカスタムメイドのボードを求めているのなら、どうぞこの先を読み進んで下さい。このサイトを作っている私達についてのいろいろが書かれています。

写真でも御分かりの通り、私達兄弟は小さな子供の頃から波乗りをしています。 父親がタスマニアで最初に作られた(1960年頃)サーフボードを所有していました。 それはジョン・プールというタスマニアサーフィンの開拓者によって作成されたものでした。 私達兄弟は学校に入る前からその板に乗って波乗りを始め、次第に“滑る(Glide!)”という単純行為にはまっていったのです。 もちろんその事は私達の学校での勉強という意味では、少しの助けにもなりませんでしたが。

今日、私達はロングボードとショートボードを条件によって、共に使い分けしています。

“Morning of Earth”というクラシックムービーを観た事は有りますか? その昔、オーストラリアでは小さな映画館で色々なサーフムービーが上映されていましたが、それらの映画に刺激された私は仲間達と未知の波を求めてオーストラリア本土を旅する事を決め、17歳で高校をドロップアウトしました。 タスマニアに帰るまでの3年間というもの、カクタスとヌーサの間の辺りでその素晴らしい時を過したのです。

その頃、弟のニックも同じように高校をドロップアウトしていましたが、それはサーフイン、それと13歳から始めたシェーピングに力を入れる為でした。 私がタスマニアに戻った頃には、入れかえりでニックがタスマニアをでました。しかし、彼は単にサーフィンを求めるだけではなく、ボードを作って生計を立てるために出かけて行ったのです。 ニックはヌーサに有るPlattユsサーフボードのピーター・トロイやトーケイのWatercooledサーフボードのキム・トンプソン、モーリス・コールそしてグレッグ・ブラウンと共に働きながらシェーピングの技術を高めて行きました。

1982年にはモーリス・コール と共にフランスに渡り、ホセゴーにサーフボード工場を設立しました。 その後タスマニアのIsland Energy社から工場を任せるとのオファーを受けたニックは、フランスに別れを告げ、アフリカ、スリランカ そしてインドネシアを旅した後タスマニアに戻ってきたのです。 1990年以降は自分の工場を持ちストレンジャーサーフボードのブランドでシェイプを続けており、世界中のサーファーからの絶大なる支持を得るに至っています。

ニックはブランクスを削る所から最後のサンディングまで自分の手で作業をします。 中古のブランクスや安いクロスやレジンも使わければ、放課後のバイトでキッズ達にマシンシェイプのプロファイルやグラッシングを仕上げさせる事もしないからです。 要するにコストを削る為に品質を妥協しないのです。

カリフォルニアの名シェイパー・ゲーリー・リンデンがオーストラリアでリンデンレーベルの板を削る人を探していた時、彼はニックに出会いました。ゲーリー曰く“毎日何枚・何十枚もクローンボードを削り出す大きな工場では無く、私のデザインを色々なローカルコンディションに融合させる技術のあるシェイパーを探していた。 ニックは業界でも高い技術を誇る職人と認識されていたので、我々はニックの仕事をチェックしてみたんだ。 彼と出会えてハッピーだよ”(フリーサーフィンマガジン) 南緯42度に住むニックは、サーフィンの世界に広く知られるエッジを削りだす、世界の最南端のボード職人となったのです。

ゲーリーがスポンサーになっているライダーの一人でフロリダに住むトッド・ホランドは、彼がオーストラリアに来た時にニックに新しいボードのシェイプを依頼しました。その板を彼は、自分のお気に入りとしてずっと大事にすると言っています。彼がその板を使った最初の日、6から8フィートのウインキーポップに挑戦し、果敢に攻めるのを見ました。彼のメイト、サニー・ガルシアとヴァティア・デヴィッド達もその板を激賞しました。ニックは求められましたが、満足のいく品質の2つのブランドの板を作りつづけることは不可能であったので、数年前にリンデンの板を作ることはやめました。

ニックは、ここの人々(シリアスなサーファー)と自然環境という2つの理由で再びタスマニアに戻って来ました。タスマニアは驚く程多くの未開の自然が残る美しい島です。サーフィンに関して言えば、波もバリエーションに富んでいて、穏やかなビーチブレークからモオーストラリアで一番強烈な波モ(トラックスマガジン2001年7月号)までを楽しむ事が出来るのです。

タスマニアで真冬にサーフィンする事は“痛い”(厳しい)! それもそのはず、感覚的に言うと日本の東北あたりの冬と同じくらいなのではないでしょうか? 但し、その時期は特に雪を降らせる発達した低気圧が訪れる頃で、一番波のある時期になります。 ホバートの近くにあるポイントでは雪を頭に積もらせながらサーフィンする事も多々あります。
夏のタスマニアは比較的穏やかで暖かく、水着で海に入れる事もありますが、一般的にタスマニアのサーフィンは、自然環境・孤独 そして海洋生物等にチャレンジする事と言え、自分と海との関係に違った側面がある事に気づかされる事でしょう。ここで年間を通じてサーフィンする人は誰でも、本当に真剣になります。ニックはそんな情熱を持った人々の為に板を作るのが好きなのです。そして、優れた新しいテクノロジーが、同時に彼の製品を支えています。

 

 


 

 

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